この話は、簡単に言えば次のようなものです。但し、脚色しています。ある武士が、大きなねずみに悩んでいました。様々なネズミ捕り技術を持つ猫達に助けを求めます。まず、がむしゃらに腕自慢を見せようと一匹の猫が件のネズミに挑戦し、あえなく失敗してしまいます。次に、気の力を頼みとする別の猫が挑戦するのですが、これも失敗してしまいます。色々な別の技を持つ猫達が挑戦しても、百戦錬磨のネズミにはかないません。仕様がなく最後の望みとばかりに目をつけたのが、名人と言われるけれど、どうみても頼りなさそうな老猫でした。老猫は、よっこらしょと腰をあげるとネズミのいる部屋に入り、何事もなかったように、ネズミを咥えて出てきました。他の猫たちはびっくりです。この老猫の秘訣は、無心でした。何しろ、この猫が何の気配も見せないので、つまり、捕まえてやろうとか心にそんな囚われが無いのでネズミもどう対応してよいやらまごついている間に、捕まえられてしまいました。
 次に、老猫の猫たちへの諭しで話を締めくくります。
 「いずれの猫たちも、技術や気力などに頼り、また捕まえたいなどの欲望にこころが捉えられてしまって本来、無であるべきこころに、自分の形を作って相手に覚られてしまっている。ネズミの方は、技術、気力などにおいて百戦錬磨である上に窮鼠猫を噛むの例え通り、必死に戦ったので、猫たちに勝つことができたのだ」。
 この寓話を、私的に解釈してみますと次のようになります。
 一般の猫達は、ネズミを五感で感知し、次いでこの情報をもとに例えば、ネズミを捕えてやろうとか頭で考え、感情も交え判断し行動しています。
 この寓話では、「簡単に捕まえてみせるぞ」と最初は思っていても、実際百戦錬磨のネズミと対戦してみると意外と手ごわく、「強いな。負けるかもしれない」などと考えている間にネズミに先に攻撃されてしまいます。つまり、頭で考えるので行動への反応が遅れてしまいます。
 また、「どこそこを攻撃しよう」と考えますと、頭(脳)から筋肉への指令は必要とする筋肉部位だけでなくその他の筋肉部位にも伝わってしまい、例えば、腕に力が入るなど余計な力が入ってしまいます。そんな状態では、身体を思うように動かすことはできず自然の動きとはかけ離れてしまい相手に負けてしまいます。つまり、思考が自然な身体の動きを制限してしまいます。
 一方、この老猫はネズミを五感で感知すると考えを介することなく無意識のうちに自由自在に行動しています。そのためには、厳しい修業が必要でありますが、修業により熟練の度合いが増すにつれて、思考は少なくなり身体の動きを制限することも減ってきます。そして、遂にこの老猫のように絶妙な動きをみせる境地へと達するのです。
 実際の例として、バスケットボール​選手の動きをあげましょう。例:バスケットボール
 この他、剣道、弓道、書道、柔道、華道、茶道、音楽などの一流の人達も挙げられます。
 また、別の例として少し強引ですがアフリカのサバンナに生まれ育った、フランスの少女ティッピを紹介します。この少女は、動物達と自然と仲良くなる、会話できる能力を持っています。
 以下の映像をご覧下さい。
​ 映像の中の「人間も動物の一種」という言葉は、
 印象的ですね。
​ 
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